こんにちは。メディカルホーム苗間介護士 向後 修です。
今回は、Sさんのタクシー運転手だった頃の話です。
「だいぶいい歳になった。今でもふとした拍子に、二十代後半で始めたタクシー運転手の頃の匂いが蘇る。
排気ガスに、タバコ、深夜のラジオのあのザラついた声、ああいうのが、若い頃の私の青春だなぁ。」
タクシーに乗り始めたのは、昭和四十年代の終わり。高度成長の熱気がまだ街に残っていて、
夜の繁華街は、どこも活気があった。今みたいにスマホで呼ばれる時代じゃないから、
流しが勝負。ハンドルの感触ひとつで、その日の稼ぎが決まるような、そんな空気だったよ。
忘れられないのは、雨の夜、ワイパーが追いつかないほどの豪雨で、フロントガラスが白い膜みたいになってね。
普通なら怖くてスピードを落とすところだが、あの頃の私は若くて無鉄砲だった。
前席には酔っぱらいのサラリーマン、後部座席には泣いている若い女性。
二人とも赤の他人なのに、雨音がやけに大きいせいか、三人で同じ船に乗るような一体感あった。
「兄ちゃん、安全運転で頼むよ」「すみません早く帰りたいのですが…」
そんな声を背中で受けながら、私は大雨の街をゆっくり走った。ネオンが水たまりに混ざり合い、
世界がやわらかく滲むあの景色は、いまだに忘れられないよ。結局、二人は同じ方向だったらしく、
「ご縁だなぁ」なんて言いながら、相席で帰っていった。タクシーの中で知り合って、
その後どうなったかは知らないが、人生にはああいう不思議な交差点がある。
またある日は、深夜の町で、身なりのいい紳士を乗せた。沈黙が長く続き、
ミラー越しに目が合うと、ぽつりと言った。
「運転手さん、人はね、幸せになるために生きるんじゃないんだよ」
「へぇ、じゃあ何のためです?」「誰かの幸せの、足元をちょっと支えてやるためさ」
何の仕事をしていた人か分からないが、その言葉だけは今でも胸に残っている。
タクシー運転手って、人を運ぶだけの仕事じゃない。愚痴を受け止めたり、泣き言に相槌を打ったり、
その日の人生を少しだけ支える。そんな役目もあるのだと、その夜知ったね。
今にして思えば、タクシーの運転席は、人生の交差点の最前列だった。
笑う人、怒る人、泣く人、夢を語る人、恋に破れた人……
そんな人たちを毎日ドア一枚隔てて見ていたのだから、私もあの頃ずいぶん鍛えられた感じがする。
歳をとった今でも、道路に出ると、街灯の光、夜風の匂い、そして人の息づかい。
あの頃の自分が、ひょいと隣に座って
「まだまだいけるぞ」と笑っているような気がする。あれから。人生も終盤戦に差しかかってきたが、
若い日のタクシー稼業で拾った言葉や景色は、今も私のハンドルをまっすぐに保ってくれている。
Sさん懐かしい良い思い出ありがとうございます。




